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金井 清(かない きよし、1884年12月7日 - 1966年4月26日)は長野県出身の官僚、政治家。太平洋戦争前は鉄道官僚を歴任し、戦後に長野県諏訪市長を通算2期務めた。 == 人物 == 1884年12月7日、長野県諏訪郡上諏訪町(現在の諏訪市上諏訪)に生まれる()。 長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1903年に第一高等学校に入学。3年次在学中の1905年、市河三喜に代わって動物学者のアンダーソンと行動をともにし、1906年にも協力する()。1905年にアンダーソンに随行した際に、奈良県東吉野村鷲家口で、最後のものとされるニホンオオカミの捕獲個体(ただし猟師によりすでに殺されていた)に立ち会っている〔金井は1938年に中支那振興株式会社の理事に就任して立川飛行場から軍用機で上海に向かう途中、「奈良県の上空でふと下を見下すと杉林の密林である。その時33年前此の杉林の中の鷲家口の宿に、M.P.アンダーソンと共に二週間ばかり滞在して多くの動物を採集した事を思い出した」()という()。〕。 1907年、第一高等学校 を卒業()し、東京帝国大学法科大学に入学。1911年、法科大学政経学科を卒業した()。同年、鉄道院(1920年より鉄道省)に入省して書記となる()。 1923年、鉄道省参事官だった金井は関東大震災からの復興を目的として設立された帝都復興院に出向、帝都復興院書記官総裁官房事務取扱に任じられる()。金井と同じ鉄道省参事官であった十河信二(戦後、第4代日本国有鉄道総裁)も同時に帝都復興院書記官(三等) ・総裁官房に任じられている()。「従って、復興局の要職中、整地部・建築部以外は殆んど鉄道省出身に占められて仕舞った。中にも大田(太田?)、十河、金井」のコンビ勢力が最も強大、という状態であった()。1924年8月の復興局疑獄事件で十河信二が逮捕され、再審で無罪となるも1926年に退職し、南満州鉄道理事、興中公司社長を歴任した()。疑獄事件ではほかに太田圓三が自殺する事態となったが、金井は1925年に鉄道省に復帰して書記官となる。しかし、やがて十河と同じく南満州鉄道に移籍して重要な地位に就いた()()。 戦後、1945年 - 1948年および1952年 - 1955年諏訪市長に就任。 市長退職後は再び鉄道界に入り、1966年4月26日に没した時は社団法人世界貿易センター理事であった()。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金井清 (諏訪市長)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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